さて、9月も始まり東京は週末が雨という熱帯のような天気が続いています。
このブログへの書き込みをきっかけに自分の仕事への思考を深める毎日です。
治療という行為はいったい何なのか?
そんなことを高々三十路の自分が彫り進められるところまで書きたいと思います。
そもそも、治療という行為の原点は呪術であったのだろうと認識しています。
鍼灸上がりには有名な話ですが、アイスマンというのがいるらしく
氷河期ぐらいの氷の中から発掘された人の背中には、つぼの刺青があったとか。
そこを押すと調子がよかったから刺青したと教科書にはありましたが
本当でしょうか。
その効果を含めて神聖なものを感じたからこそ自分の体に刻んだのではないかと・・・
まぁそれはさておき
アフリカの部族には、今も症状にあわせた演劇があり
村に病人が出ると神官の指揮の下決まった劇を演じて治すといいます。
このように、病気、症状というものは昔から儀式によって解消できるものとして捉えられていたのではないでしょうか。
(その発想の中には、病は人間関係から生じるという思想があるように思いますが)
その儀式のひとつに呪術があり、その呪術の技術革新こそが医療の進歩に他ならないのではないかと。
日本では昔から、妖怪というものが存在していました。
それはある意味病であったのです。
説明もつかず襲い来る病を妖怪と表現し、安定を保っていました。
その妖怪を医療では少しずつ解き明かし、残っているものは「心の病」としました。
タイでは「ピー」という精霊の仕業になるみたいですね。
心の病としたことで、人には逃げ場がなくなったと思います。
しょうがないことから、あの人は弱い人だへ・・・
やっぱりこのトピックについては書ききれませんでしたが、最後に自分の思う治療について一言書きたいと思います。
「痛みはメッセージ、ゆがみは履歴、治療とは軌道修正」
最近はそう思っています。